大判例

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最高裁判所第三小法廷 平成3年(オ)906号 判決

上告人

日本通運株式会社

右代表者代表取締役

長岡毅

右訴訟代理人弁護士

冨島智雄

松川雄次

東川昇

被上告人

右代表者法務大臣

前田勲男

右指定代理人

宮城直之

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人冨島智雄、同松川雄次、同東川昇の上告理由について

所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができる。本件相殺予約の趣旨は必ずしも明確とはいえず、その法的性質を一義的に決することには問題もなくはないが、右相殺予約に基づき日通商事株式会社のした相殺が、実質的には、上告人に対する債権譲渡といえることをも考慮すると、上告人は日通商事株式会社が被上告人の差押え後にした右相殺の意思表示をもって被上告人に対抗することができないとした原審の判断は、是認することができる。原判決に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものであって、いずれも採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官園部逸夫 裁判官可部恒雄 裁判官大野正男 裁判官千種秀夫 裁判官尾崎行信)

上告代理人冨島智雄、同松川雄次、同東川昇の上告理由

一 第二審判決の理由について

第二審判決が、第一審判決を逆転させて、被上告人(控訴人)の請求を認容した理由は、要約すると次のとおりである。

① 本件の相殺に関する合意は、昭和六一年二月一二日に、訴外日通商事と訴外近畿運輸との二者間でのみ合意されたものであり、上告人(被控訴人)は合意の当事者ではない(第二審判決二八丁裏二行目〜三〇丁表七行目)。

② 本件相殺は、訴外日通商事の訴外近畿運輸に対する石油代金債権(自働債権)と訴外近畿運輸の上告人に対する作業代金債権(受働債権)についてのものであり、かかる三者間にまたがる二つの債権について、右①のような二者間の相殺予約をしても、これをもって差押債権者に対抗することはできない(第二審判決三四丁裏八行目〜三六丁表一〇行目)。

二 右理由における「判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違背」(民事訴訟法三九四条)の存在について

右のうち、①の認定(本件相殺予約の当事者に上告人が入っていないという認定)は、証人鎌田俊治の証言等を無視した認定であり、経験法則に違背している。そして、第二審判決がこのような経験法則の違背をおかすことなく本件相殺予約を右三者間の合意であると認定していたならば、第二審判決が、本件相殺予約の差押債権者に対する対抗力を肯定していた(従って、判決の結論が逆転していた)ことは明白である

右の②については、民法五一一条の解釈を誤った法令の違背(又はその前提たる事実認定における経験法則の違背)があり、この点の法令の違背がなければ、判決の結論が逆転していたことも明白である。

以下、それぞれについて述べる。

三 本件相殺予約の当事者(三者の合意であること)について

1 右①についての判示部分(右の二八丁裏二行目〜三〇丁表七行目)には、証人鎌田俊治の証言も掲げられているが、同人の証言中決定的に重要な次の証言が、第二審判決においては看過されてしまっているといわざるを得ない。すなわち、同人は第一審において、次の旨証言していた。

「上告人と訴外日通商事とは同じ会社であると思っていた。」「訴外日通商事から石油の供給を受け始めた頃から、上告人から支払われる作業代金から訴外日通商事に支払うべき石油代金が控除されるものと認識していたので、訴外日通商事に対して石油代金を支払うことができなくなった場合には、その分、作業代金から差し引かれて当然であると思っていた。」(同人の証人調書四丁裏、五丁裏、一七丁裏、二〇丁表裏、等)

2 また、第二審判決は、上告人が、その子会社である訴外日通商事に対して、上告人が下請先に対して負担する作業代金債務を担保として、訴外日通商事が右下請先に石油を販売することを全国的、包括的に承諾しており、本件における訴外近畿運輸との取引についても、右全国的、包括的な承諾に基づき、上告人神戸支店が、訴外日通商事に対して、上告人の訴外近畿運輸に対する作業代金債務を担保に訴外近畿運輸に対して石油を販売するよう指示していた、という事実(証人奥田純夫の証言)を認めながら、なお、本件相殺予約の当事者に上告人は入っていないとの認定をしたのであるが、右の事実(証人奥田純夫の証言)と前記の証人鎌田俊治の証言とを総合して、なお上告人が本件相殺予約の当事者でないという結論が、どうしてでてくるのか理解に苦しむところである。

3 すなわち、まず上告人及び訴外日通商事の側の認識としては、一般的にも緊密な業務連携を維持する親子会社の関係にある両社間において右のような具体的な指示があり、その指示のもとに訴外日通商事が訴外近畿運輸との相殺予約を合意したのであるから、その合意は、合意の書類(乙第一号証・石油製品売買契約書)上たとえ訴外日通商事のみが当事者として掲げられていても、実質的には、上告人も当然当事者として合意したものと認識していたのである。

合意の当事者という言い方を直ちに用いることはあえて控えるとしても、上告人もまた右の相殺予約の合意を認識し承諾していたことは疑いの余地がないはずである。

4 一方、訴外近畿運輸の認識は、その代表取締役である証人鎌田俊治の前記の証言に示されるとおりである。すなわち、同人において、上告人と訴外日通商事との区別の認識は全くなく、上告人=訴外日通商事という認識を有しており、そのような認識のもとに、上告人(=訴外日通商事)に対する作業代金債権と、訴外日通商事(=上告人)に対する石油代金債務とが相殺処理されて当然であると思っていたというのである。

このような認識を有する訴外近畿運輸において、相殺予約の当事者(相手方)を、上告人か訴外日通商事のいずれか一方に限定的に捉えていたというようなことは、およそありえないところである。

仮に、右鎌田俊治が、上告人と訴外日通商事とが一応法人格を異にする別会社であるという認識を当初から有していたとしても、訴外近畿運輸と右両社との各取引の緊密なつながり、すなわち上告人の下請作業をするかわりにその子会社である訴外日通商事から石油を買うというつながりがある以上、相殺予約の当事者(相手方)をいずれか一方にのみ限定して認識することなど、やはりありえない。

5 要するに、訴外近畿運輸、訴外日通商事、上告人の関係三者全員一致の認識として、本件相殺予約を右三者による合意と捉えていたことに疑問の余地はなく、書面(乙第一号証)上、上告人を除いた二者合意の体裁となっているのは、単なる形式にすぎないのである。

合意の形式とは異なる合意の実質が明らかである以上、実質に沿った認定がなされなければならない。第二審判決は、このような疑いの余地のない事実の認定を誤り、そこに経験法則の違背があるといわなければならないのである。

四 右三者間の相殺処理についての信頼関係(期待利益)について

1 第二審判決は、三者間にまたがる二つの債権に関する本件相殺予約に上告人の当事者としての関与がなく、従って、相殺による決済についての「三者間の信頼関係」はなく、二者間でのみなされた本件相殺予約には、差押債権者(被上告人)に対する対抗力を認めるための基盤がなく、またこれを認めるとあまりにも差押債権者(被上告人)の利害を害することになる、という旨判示している(第二審判決三五丁裏)。

2 右判示のうち、相殺処理についての「信頼関係」というものが何を意味しているのか必ずしも明らかでないが、いずれにせよ本件相殺予約の差押債権者に対する対抗力の有無を決する基準的なものとして右「信頼関係」という用語が用いられていることは間違いない。

しかし、既述のとおり、本件においては、上告人及び訴外日通商事の側だけではなく、本件相殺予約の相手方である訴外近畿運輸においても、相殺による決済を当然視していたという重要な事実があり、これをもってしても、なお右三者間における相殺処理についての信頼関係がないとする第二審判決の右判示は、理解に苦しむところである。

右の信頼関係とは、おそらく、「差押と相殺」の論点に関してこれまで議論されてきたところの相殺についての「期待利益」と同様なものを指しているものと推測されるが、既述のところからすれば、本件において、相殺についての三者間における右信頼関係ないし期待利益があることは明らかであろう。

第二審判決は、ここでも、本件相殺予約の形式(前記乙第一号証)上上告人の名義参加がないことのみによって、信頼関係ないし期待利益がないといっているにすぎず、これは単なる形式論である。

3 相殺予約の対外的効力(差押債権者に対する効力)を肯定するためには、相殺の期待利益が存在しなければならないという解釈が正当であるとしても、その期待利益の存否は実質的に判断されなければならないのである。

この点につき、例えば、四宮和夫・判批・法協八九巻一号一四三頁は、差押と相殺に関するいわゆる無制限説には批判的であるものの、以前の判例のごとく両債権の弁済期の先後によってのみ決することも妥当でないとして、次のように述べている。すなわち、「弁済期の先後による基準を充たすことは、相殺を差押債権者に対抗しうる唯一の場合ではなく、相殺予約もまた第三債務者の期待を正当化する事由と考えられ、……相殺予約は、相殺対抗の正当化事由という機能と相殺適状発生事由という二つの機能をもつこととなる」というのである。ここでは、期待利益の存否を実質的に判断すべきという見地から、相殺予約の存在自体によって、期待利益が肯定されている。

このような立場は、林良平・民商八三巻一号一四〇頁以下においても述べられており、ここでも、期待利益の存否を実質的に判断すべきであるという見地(いわゆる合理的期待説)から、相殺予約のある場合、暗黙の見返り債権である場合などには期待利益の存在を肯定すべきである旨述べられている(右一五三、一五四頁)。

このように、期待利益の存在が相殺予約の対外的効力を認めるための要件であるとしても、本件においては、相殺予約があり、かつ既述のとおり両債権が相互に他方の見返り(担保)として認識されていたといった事実もあり、実質的に、期待利益があることに疑問の余地はないであろう。

4 第二審判決は、この点においても右「信頼関係」ないし「期待利益」なる概念の解釈を誤って法令(民法五一一条)に違背し、あるいは、右概念適用の基礎となる事実関係の認定につき経験法則に違背しているのである。

五 民法五一一条の解釈の更なる誤りについて

1 第二審判決は、右のとおり、本件相殺予約には相殺についての信頼関係ないし期待利益がないとするものであるが、そもそも右信頼関係・期待利益を必要とするという解釈そのものにも疑問がある。

2 差押と相殺についての最高裁判所昭和四五年六月二四日大法廷判決・民集二四巻六号五八七頁は、次のように判示している。

「……訴外会社またはその保証人についての前記のような信用を悪化させる一定の客観的事情が発生した場合においては、被上告銀行の訴外会社に対する貸付金債権について、訴外会社のために存する期限の利益を喪失せしめ、一方、同人らの被上告銀行に対する預金等の債権については、被上告銀行において期限の利益を放棄し、直ちに相殺適状を生ぜしめる旨の合意……が契約自由の原則上有効であることは論をまたない……。」

要するに、相殺予約なる契約も、契約自由の原則上、一般の契約と同様に対内的にはもちろん対外的にも有効とすべきであり、ただ例外的に、その内容において無効・取消しの原因等がある場合にその効力を否定し、また場合によっては相殺権の濫用という手法により相殺を認めない、という解決を図れば足りるのではないか。

期待利益なるものに何ら言及することなく、相殺予約の対外的効力(相殺の担保的機能)を一般的・原則的に承認する右最高裁判所大法廷判決の判示に適合するのは、右のような解釈であろうと思料されるのである。

3 本件において、本件相殺予約について、右のような意味での無効・取消し原因や相殺権の濫用と評されるような事実は何ら存せず、従って本件相殺予約は対内的にも対外的にも有効であり、これに基づく本件相殺により本訴請求債権は消滅していたものである。

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